30年間泣いていた<発達障害なんてない>

発達障害者雇用で就労していた筆者が、発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、自分&他のケース、独り言などをまとめました

<発達障害者雇用で働いていた筆者が、
発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、
自分&他のケース、独り言などをまとめました

【障害とメディア】発達障害でも活躍するキャラクターの多い海外映画ドラマ

障害は障害? 特性?

 人間には、「得手不得手の差がある」。

特にこの差が大きくて世の中が生きづらい人が、発達障害と呼ばれる人々です。

しかし、数年間この問題について考えるにつれて、やっぱり発達障害は自然界そのものの上にはなく、社会のビジネス概念が変化するにつれて「人間が規格化されたために」、生じたのではと思うようになってきました。

 

そんな中で、日本でも近年さかんに「発達障害!」と連呼するだけの啓発活動が行われていました。

私はそんな啓発活動は「ちょっと違うのでは……」と思い、日本の政府広報のあり方について疑問を抱いていました。なぜなら発達障害はどこにでも存在するし、うまく適応環境下にあればそんな人は存在すらしないのです。

お金を稼ぐ手段、企業に求められる性格が日本では規格化されすぎていて、諸外国よりも生存適応条件が厳しいのではないかと思いました。

 

今回は、そんな「発達障害」を啓蒙するにしても、「障害だ!」と決めつけるのではなく、社会の市民として普通に描かれている海外映画や作品について紹介してみたいと思います。

 

 

カジノ・ハウス(2017)

 

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 計算がまったくできないパパが、娘の大学授業料を払うためにママと一緒に素人賭博場を仕切るという作品です。

ウィル・フェレルの出てくる作品には時期時期でところどころプロパガンダじみた宣伝が入ってきますが、障害と真っ先に出すのではなく、「この人はこれが苦手、だけどこれが得意」という、啓発の仕方はいいと思います。

 

 

 

クリミナル・マインド(シーズン2 :22話  「出口のない迷路」)

 

 

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カンザスカンザスシティ市警察のマクギー刑事が60人以上のホームレスが連れ去られたことにいち早く気づいた。しかし他の刑事たちはホームレスなのでむしろ喜ばしいと言い、誰も探さない。

マクギー刑事は強迫性障害の傾向があり、彼がいち早く気づいてクワンティコのBAUに通報したため事件が明るみになった。

 

 

これは発達障害の括りではないですが、マクギー刑事自体はやっぱり職場では鼻摘まみものだったというあたりが、欧米ドラマらしい人間洞察に優れているなと思いました。

また、主人公のFBI(中央警察) のプロファイラー集団BAUにドクター・リードという博士号を持つ自閉傾向のプロファイラーがいますが、当初の空気読めないキャラからだんだんとたくさんの試練を切り抜ける間に磨かれて、だんだん人間らしくなっていきます。

 

 

グッド・ドクター(韓国ドラマ原作・2013年/アメリカ・2017年)

 

自閉症サヴァン症傾向のあるが、医師として天才的能力を持つ主人公が医者を目指す物語。原作は見ていませんが、日本とアメリカでもリメイクされています。

 

主人公のショーンは早くにその才能と資質を見抜かれたために医師を目指すことができましたが、もしも彼がその才能を見過ごされて良いメンターに出会えなかったら、きっと要支援の「障害者」になっていたのかもしれません。

 

※実在するお医者さんの中にも発達障害傾向の人はいます。

(しかし発達障害を全面タイトルに出すのは日本の出版物の悪い癖)

発達障害だから、勉強ができるから、の理由だけで医者を目指すのはやめたほうがいいと思います、どの職業でも向き不向きがあります。

 

 

※本人は発達障害とメディアのあり方について引用範囲内で作品紹介しているつもりですが、もしも法改正されたり解釈が誤っていた場合はキャプチャーを消す予定ですのでコメントください。

 

 

 

 

発達障害は「障害ではない」ことをなぜ伝えないのか

自閉症」や「発達障害」傾向のある人は、映画の中では大変魅力的に描かれています。

欧米ではそれが個性として認められているのに対し、今の日本では「あの人は発達障害なんじゃない?」「俺は発達障害なのか?」と自ら障害の枠を当てはめてしまいがちです。

 

かといってドラマの主人公のように天才扱いされても困るのですが、ただ得意不得意の幅が狭いだけなんだということを「障害」扱いにする、今の日本のメディア戦略のあり方はどう見てもおかしいです。

 

以前某地方公共団体の長さんにお話を聞かせてもらった際に、その人は「自治体の歳入は増えないので、公共団体として数字を出す人でありたい」と述べていました。その中で、「面接でいい感じだったのに実際は働けないやつがいる。発達障害みたいのは、こちらが省かなければならない存在だ」というお話を聞かされ、胸が痛くなったことがあります。

※この方のお話を聞く限り、残念ながら旧来のビジネス感覚を引きずった感があり、おそらく数字がそろそろ伸び悩みを見せている頃かと思いますが、このように「数字を出す」ことを目標にしている団体には当然、発達障害傾向の人の行き場はありません。

 

質のいい労働者を作るために「規格」を作り出すのではなく、きちんと人間観察にすぐれた上司や、働く仕組みを作る人が社会にいることのほうがよほど大事です。

 

そのために必要なメディア活動とは、一体何でしょうか?

 

道徳などのうわべの授業はあれ、日本ほど人間について考えることの時間が少ない国はないと思います。せめてメディアだけでもまともになればと思いますが、昨今のメディアを見るに、日本にそうした人材はいなさそうです。

※たとえば某教育番組の障害者を前面に出したバラエティーで「僕は障害者を社会に出して社会を教化している!僕ちゃんすごい!」と勘違いして自画自賛しているプロデューサーとか、この記事を見て「そうだ、障害者が主人公のドラマを作ろう」とまず考えた人は心底バカだと思う。

 

 

 

 

 

※余談ですが、最近はキャプチャー著作権がどうとか言ってるのですが、こういう紹介の仕方もだめになるのでしょうか。盗撮撲滅運動の一貫ならアダルトだけにすればいいのに、一般作品までやるとは世知辛い世の中です。日本はどんどん生きづらくなっていると感じます。

 

 

 

700名の署名が集まりました! 引き続き軽度発達障害含めた年金拡充活動へご署名をお願いします。

 

https://www.change.org/p/%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81-%E8%BB%BD%E5%BA%A6%E5%90%AB%E3%82%81%E3%81%9F%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E5%B9%B4%E9%87%91%E3%81%AE%E6%8B%A1%E5%85%85%E3%82%92

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