30年間泣いていた<発達障害なんてない>

発達障害者雇用で就労していた筆者が、発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、自分&他のケース、独り言などをまとめました

<発達障害者雇用で働いていた筆者が、
発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、
自分&他のケース、独り言などをまとめました

この国は「明るくない」人間の人権がないのか?

なぜトイレの清掃を行う裏方の仕事に明るさが必要なのか?

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「明るい人募集」

 

巷には、こんな広告ばかりが溢れていると思う。

 

この国は暗い人、ネガティブな人が社会に出る事を社会自体が拒んでいる。

人には得手不得手がある。適材適所もある。

しんどい掃除の仕事を明るくこなすサービス感情労働を強いている。こんなブラック求人募集が山ほどある。

 

求人募集をする側は、見た目がネガティブな人間を殺しにかかっている。

そんなに明るい人ばかり欲しいなら東南アジアの底抜けに明るい、しかし言葉が通じない人間でも雇えばいい。

几帳面さと明るさが両立しているような希少な日本人は他の仕事でも引く手数多なので、そもそもこんな「明るさ強制」のパートの仕事など歯牙にも掛けないだろう。

 

 

さらにハードルの高い飲食業求人

 

 

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  • 笑顔で元気のある方
  • 自ら考え、行動できる方
  • キレイ好き
  • 掃除が得意
  • 気配りができる

 

明るくない人はもちろんやらない方がいいと思う仕事の一つだが、それにしてもマルチタスクを応募者に求めすぎているような気がする。

 時給が900円スタートなのに、なぜかこんなにこなせる人材(しかも誤字)しか求められない飲食業。

 

 

笑顔は無料ではない。

最低賃金でやることでもない。

 

 

「明るく見えない見た目の問題」で就職難の発達障害もいる

 

この問題が発達障害の何と関係があるのかというと、発達障害は表情がかたい、と言われることが多々ある。

(女性でADHDの方はあまりあてはまらないかもしれないが)

 

とくに、アスぺよりの発達障害の場合はこの傾向が顕著である。

研究職など笑顔が求められない場所ならば問題ないのだろうが、そういったアカデミックな場所や、士業などから離れた場所にいる人はこうした身近なこまごまとした、minimum wage job(最低賃金労働)が非常に多くなってしまう。

日本ではマルチタスクに加え、こうした感情労働、笑顔、明るく見えることなどが付加価値として盛り込まれ、最低賃金労働であるにもかかわらずハードルが高く、就業の一歩を踏み出す障害となっている。

 

内向的な人への最低賃金労働

 

 

たまたま検索していたら、海外のサイトで内向的な人むけの仕事一覧を発見した。

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Minimum Wage Jobs for Introverts

 

一番時給が良いのがオンラインカスタマーオペレーター(おそらくチャット・メールなどの顧客サポート業務と思われる)、その他はデータ入力や倉庫労働、調理人となっている。

 

この中でもより低い給与なのはピザ配達である。

元はアメリカのサイトらしいのでピザは日常に欠かせないものだと思うが、そういった身近で単純な仕事ほど賃金が安いらしい。

 

海外ににおいて最低賃金と思われる労働の人は、笑っていないように思う。

欧米のウエイトレスはチップをもらわないとやっていけない賃金設定のところもあるが、彼らはチップのために笑顔接客をしている。わかりやすい金銭労働=笑顔の構図である。

 

 

「明るくない人軽視」が経済格差を助長

 

たしかに、人間には適材適所がある。

 

接客をする売り子に笑顔は必要でも、製造する側に笑顔はいらない。

商業ビルのエレベーターガールに明るさは必要だが、清掃員に明るさはいらない。

だから、明るく見えない人間が無理に接客をしても、誰も幸せな結果にはならないだろう。

 

ただし、明るい人のみができる仕事とそうでない人の仕事に、大きな賃金格差があってはならない。人はどんなに明るく振舞おうとしても、できない人がいるのだ。

(どれだけ笑顔の練習をしても、芸能人だって素の時は笑わないだろう。)

 

日本に置き換えてみても、倉庫や清掃など、体力を使って仕事をすることほど賃金が低い。製造業が軽視されているのはもとよりだが、その中で働くパート非正規労働者への賃金は抑えられるように現在の経済システムでは管理されている。

その上で、コミュニケーション力が優れるホワイトカラーが数字の管理だけをして、実働していない人が大きなお金を持っていく仕組みがある。

 

 

「明るくない人」は賃金が低くなりがち?

体力を使う仕事は疲れるが、スキルを考慮しない一般労働市場において、明るく見えない人々(障害者、老人など含む)は就業の場所が限定され、しかも賃金が低いものに流れがちになってしまうのではないだろうか。

 

いわゆる「コミュニケーション能力に長けた」、現代のホワイトカラー職はあきらかに人材軽視をしてそろばんを叩いているように見える。彼らは彼らなりに数字上での競争があるが、彼らが雇用する人々を管理してお金を稼いでいる。

そのプロセスの上で、「明るく見えない人」を良い労働市場から弾き、お金を稼ぐ機会を奪っているように見えてならない。

 

なお、明るくない人でも働けると思われがちな「製造工場」の労働の現場が以下である。

 

news.line.me

>結構な規模の会社でも、日雇いの人が持ち込んだ携帯を『何持ち込んでるんだ』ってその場でバキッと割るとかね、すごかったです……」

 

>「例えばあるコンビニのデザート工場では、ラインに入ったらトイレに行っちゃいけないってルールがあって、お漏らしをしながらデザートを作らされる。

 6時間の契約なんですけど、トイレ休憩が認められていない。私なんかは抜け出て行っちゃうんですけど、それができない人は本当にお漏らししながらやってました。そういうところは2ヶ所くらいありましたね」

 

 

対人業務ではない一般労働における「明るくない人」の例

「明るくない人」にもさまざまな種類がいると思う。

自分が倉庫のような場所で働いていた際にもちょっとしたことで怒鳴り散らす、何らかの精神障害傾向のある、長年勤務のバイトリーダーの人がいた。

某大手パンの製造ラインにいた友人(発達障害傾向)は、とにかく怒鳴り散らす意味のわからない中年がいたり、精神病質のような人が多く働いているように感じたともいう。

 

また、募集をかけている店側の店長が明るくない、ということは何度か自分も遭遇したことがある。そして彼らは大変、人間に対して失礼な人々だった。一例を挙げれば、わかりやすいパワハラをされたことがある。(ほかの店員には散々もちろん陰口を叩かれているのだが)

 

募集する側が明くないのに、店員には「明るい人を求めている」という明らかな矛盾を感じた。

 

労働市場における「明るさ」とは何なのか?

上記のような理由から、精神障害リスク者を省くための、ある意味で「人間保証のようなもの」であると自分は感じた。

人材管理側から管理がしやすいので、清掃や製造のような裏方業であっても「明るい人を募集」になるのではないだろうか。

 

たしかに、人間関係が苦手な人が集まる労働場所では、自分とはまた違う「精神リスクのある人との接触」はできるだけ避けたい。

しかし、実際に「明るい人ではない」と自負している自分のような人間は、躊躇してしまう。

 

一般事務などのオフィスへの就労が難しい人、感情労働が苦手な人や、 明るくない人ほど、こうした「明るくない」労働環境に追い込まれがちである。

そして、その一部の「明るくない」人の延長上に発達障害アスペルガー)もいるのかもしれない。

 

 

明るくなく、内向的な人間というだけでは障害者にはなり得ないが、労働環境は大幅に狭まってしまう。それはひとえに労働管理側の責任である。

明るくない人でも明るく生きるためには、やはり最低賃金の大幅な引き上げがあり、トイレも行けないようなおかしな労働環境を取り締まる監視の目があり、労働選択の自由(教育ローンの充実や無償教育の解放)がもっと広く開かれるべきである。

厳しすぎる管理労働や、「明るさの強制」などははっきりいって人権侵害も甚だしい。

明るくない人でも生きられる社会が必要だ。

 

 

 

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