30年間泣いていた<発達障害なんてない>

発達障害者雇用で就労していた筆者が、発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、自分&他のケース、独り言などをまとめました

<発達障害者雇用で働いていた筆者が、
発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、
自分&他のケース、独り言などをまとめました

光と影と新幹線殺傷事件〜発達障害当事者が思うこと〜

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予見できた殺人事件

周知の通り、発達障害は就労、社会性、人間関係などが阻害され、生存や生きづらさに直結する障害である。
実は私は、近い将来こういうリスクが発達障害を抱える人の間で起こるだろうと予測していた。
だから、自分のブログのアカウント付きで、政府の公聴へこういうメッセージを送った。

 

 

発達障害者を取り巻く現状を見て欲しい。発達障害に対する支援をきちんとしないと、大変なことになる」

 


すると、障害者就労を推し進める政府は、私のブログが検索上位に上がらないように組織的に動いたり、革新的なことを言うたびに「一点突破ブロガー」やら某キンタマという偽の発達オピニオンブロガーまで用意してきた。(登場の経緯が不透明なのは調べればわかる)
発達障害では障害年金が出ないが、そうした人たちにも衣食住を保障や支援できる「お金」を分配してくれと、こんな署名活動も行ったら、アンチブログが続々と増えた。(今まで検索した上ではこんな風にはあがらなかった:中にはアンチブログで古い記事のように見せかけているのもあるが、ブログの日時設定は操作できる)

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そういう風に、現実社会を生きている問題を、「なかったことにする」のが日本の政府だ。

登壇不透明ブロガーのいうことはどちらも以下のようなものであった。

 

 

発達障害就労」でうまくいかないことを言うな。書くな。

社会保障をするお金がないから障害者でも最低賃金できりきり働け」

「株やビットコインで頭を使え!」

 

 

3番目の投資に関しては、元手を稼ぐ土台がそもそもないのに、何を言っているんだとしか思えない内容である。


発達障害があるとうまくいく職場がないから、私のように「社会が生きづらい」ブログを必死になって書いている人たちが世の中にごまんといる。
それを聞いて、その人たちが生きやすい社会を作るのが公の福祉である。
しかし残念ながら、そういう弱者の声を反映させるのではなく、潰していくのがこの国のスタイルらしい。

 

 

ハコモノ」でやはり矯正できなかった発達障害

 

私の初期のブログを見ればわかると思うが、この国の対応に「ふざけんな」と常々思ってきた。
発達障害があるから、ではなく、これほど大きな問題を取り上げない、あるいは「隠そうとする」、障害者なら企業が受益者となるハコモノに入れ…

なんでも金稼ぎと結びつけるこの国特有のやり方に、いつでも辟易していた。


集団生活が苦手な人間が見事に10代からハコモノに入れられ、政府お墨付きの「自立支援」を受けてきた発達障害者の凶行だった。

 与えられた仕事ができない、集団行動に適応できない、人間社会からはみ出させられる。
だから、彼は加害者であり、社会の被害者でもある。

殺人そのものはもちろん擁護できない。けれども、親でさえ無関心であった(インタビューを見る限り親が重度の発達障害に見えた)彼にとっては、あんなことをしなければ、彼は誰にも助けを求められる場所がなかったのだ。
皮肉なことに、彼が刺した相手は、この日本社会に一番適合している生え抜きのサラリーマンだった。

 

自己受容ができず、かといって障害年金が降りる障害でもないため生活すら確立できず、家庭というセーフプレイスもない。

発達障害に対する現状のやり方を抜本的に国が変えない限り、この手の事件は次々と起こるだろう。もしかしたら、これからは加害者が「発達障害であった」ということすら隠して報道されるようになるかもしれない。

 

また、犯人は刑務所から出ても、「また事件を起こす」と言っている。
それは、言い返せば「この社会が変わらない限り、第2第3の加害者が出るだろう」ということを示唆している。

 


この国のお上は窮状を訴えても、ハコモノだけ作って「矯正」させ、既存の社会に適合させようとする。自立のための支援金も与えない。
その上、上記のような嫌がらせをされた挙句、結局は私が警告したのに今回のような事件が起こった。これからも起こるだろうーただし、障害名は伏せられたただの通り魔として。

 

それくらい、この国は福祉に対して「お金を削る」ことしか考えがない。

 

発達障害があっても、人間だ

 

本来ただの「気難しい人」で済んだ人を「障害者」という今の風潮に、違和感を持って欲しい。

お金があったら「発達障害」とは言われない。

音や光のギラギラした店や閉塞した都市部に業務が集中し、通勤すら困難になってしまった都市部。

しかし、地方の広大な土地で、まともに暮らせる仕事は少ない。農業ですら高齢者が自分の年金を削りながら、安く農産物を買い叩かれて生活しているのだ。

たとえば、農業で汗を流して食えることができる人が多いなら、発達障害と呼ばれない、「ただの気難しい人」が増えるのではないだろうか。

この国の精神的貧困と、近年の物理的貧困が招いている障害が現代の発達障害を作り出している。

 

私はこの新幹線で誰かを刺殺してしまった容疑者と、とことん喋りたいと思う。
私のような傷を抱えた人間しかわかりあえないものがあるからだ。

 

この国では「発達障害」に括られる人が多すぎて、裏を返せば、それほどまでに社会への働き方強制や同調圧力が強いのである。

私たちはみんな、被害者である。

 

 

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