社会活動始めてみた
こんな底辺ブログで喚いてても社会は何も変わらないので、社会活動をしてみることにした。
世の中に何千何万の発達障害苦しいブログはあるけど、そこから何か先に進んでる人っているのかな。
二次的障害として、うつ病などで動きづらい、お金にも余裕がない、という人も多いかもしれないし、たまたま運がよく自分に合う職場に入れて気づかない人もいる。
自分は幸い学生という身分になれた(運みたいなものだが)ので、その学びを生かしていきたいし、元々大学入った目的が、こういう自分みたいな境遇の人間を、自分自身含めてなんとかしたいと思っていたからだと面接で答えたのを記憶している。
その原因と理由がわかった以上、問題は半分以上解けているんだよ、とある人から教えてもらった。
だから、この思いで誰かが救われる(というとご大層だが)ように、きちんと社会の仕組みが変わらなきゃダメだと思った。
原因の前に現状を<食住環境と福祉>
発達障害から発生するあらゆる問題、路上で生活するホームレスの6割になんらかの精神疾患があるという説がある。
でも障害があるからって路上で生活してていいわけない。
この人たちはほんとうに「生きられる」社会がなかったから、結果として路上で暮らしている。
まずは原因を正すより、結果には結果で応えたいから、食料・住宅支援をどうやったらできるのか今考えてる。特に住宅。
家がないっていうのは、何かがおかしいことだ。生きている以上は必要なものだ。
私なら、もしもこの状態が続いたら、自分の方向がわからなくなる。
ノマドワーカーとかは自分で「そうしたい」から家を持たない。(でも、そういう人でも拠点はだいたい持っている。)
ホームレスは、家がない。
家がないから凍える。
発達障害は、社会に受け入れる仕組みがない。
仕組みがないから社会に溶け込めない。
もちろん、発達側から歩み寄ることもあるとは思う。けど、障害者というのは社会の側が決めるものだと九州のしょうぶ園(障害者施設)の園長さんが言っていたと教えてもらったことがある。
ダイバーシティ活用だとか、総活躍とかいわれてるけど、大卒大企業勤めが大衆成功モデルの一般論である以上は発達障害者は生きられないと思う。それはシステムと管理社会が築き上げた賜物である。
発達障害者は人に対することには基本あまり向いていないし、かといって工場のようなルーチン作業にも適正不適正がある。
発達障害者はその能力のばらつきや幅を生かせる仕事でなければ、決して「自分が働けている」という感覚は得られないと思う。
発達障害者の就職サポート=具体的な仕事を作ること
漠然としてしまったが、とりあえず必要なのは発達障害者でも働ける職業、そして「食べられる」職業である。
一般の人でも非正規で4割が働く時代。
でも、発達障害者だとさらに雇用状況が少なく、発達障害者を対象とした募集はほとんどない。(あっても、パートタイマーで100均の店員とか。身体障害者と発達障害者の差別問題参照)
そういう意味で、農林業の法人化には期待をしている。
なぜなら、発達障害者の苦手とする人間関係の間に、「モノ」がワンクッション置かれるからだ。
農業ならば、食には困らない。森や畑は他人との距離があるし、そこにプライベートが保たれる寮があるとなおいい。(発達障害者は他人の視線に敏感)
人間関係が密集するオフィス空間でもない。また屋外の作業はセロトニンの恩恵に預かりづらい精神障害の人間にもよさそう(あくまで自分の論)
キャリアセンターの適正審査は、結局ペーパーテストでしかない。就業が続くかどうかは環境と人間関係に左右される面も大きい。
サステイナブルな発達障害支援ってなんだろう
このままのシステムでいいわけがないのは、誰もが思っていることである。
社会の仕組みがが変わらないのならば、お金が稼げない発達障害者をベーシックインカムで補填することは必要。生活保護で支えるんではなく、雇用を福祉につなげていく。
(大企業に置かれる「事務補助」とかいう、サポート仕事の下のさらにサポートという変な職業ではなく)
発達障害は甘えではない、変わらない社会のほうが甘えである。
しばらく適当にバイトしつつ、しばらくいろんな団体見たり、勉強する。
何年かかるかわからないけど、おそらくその仕組みは発達障害者の側から発信しなくてはいけない事なので、障害者排除によって生まれた悪い「結果」(ホームレス、就職問題etc)を直しつつ、「原因」にも色々突っ込んでいきたい。