なぜ下のレベルから切り捨てていくのかー 1000人障害年金受給者打ち切りについて発達障害への障害年金を訴える人間が思うことー
朝一番のニュースを聞いて驚いた。
「あっ、これは精神障害者自殺生産コースだ」
私は以前の記事で、障害年金の受給要件がおかしいと言及したことがある。
それは決して2級の人が「うらやましい」のではなく、「発達障害でも精神障害3級でも十分生活に支障が出る程度の障害があり、継続的な就労が不可能である」のに対して、精神障害2級認定と3級認定の差がおかしいのではないか、という趣旨である。
※なんだかあのブログを書いたら、私ではなく外野が五月蝿かったのだが、そういうシステムや制度上で規定されていることなので、もらえるのならば貰っていいと思う。
発達障害であれうつ病であれ、どちらも精神的に脆いので、社会に出た就労が難しいのは同じである。
だからこそ、必要なのが障害年金である。
受給要件(システム)が未だにおかしい
しかし、発達障害で企業や社会で働けない人の多くに認定されているのは、精神障害3級である。(また、グレーゾーンの人もいる)
しかしこの場合、以前のブログで言及したサユさんは「うつ病」での認定ならば、ほぼ「寝たきり」でなければならなかったそうだが、彼女は私のブログに対しての怨嗟をツイッターで暴れ晒すほどの元気を見せていた。
また、容易に外出ができる状況や、気力の必要な動画制作やゲームを延々とできる様子がネット上に掲載されていた。だからこそ、「2級でこれほど活動できるのに、なぜ別の障害で働けない発達障害で精神3級が年金支給されないのか?」という率直な疑問を私はブログに書いた。
今回の支給要件一元化は障害者間格差をならす目的もあるとは思われるが、それによって障害年金支給のシステムが是正されると思わない。
なぜなら、現状のシステムがすべて、マルチタスクや長時間労働をしてようやくまともな生活ができる人間を基準としており、見えない部分に障害のある人間が生きられる条件で、十分な賃金をもらえる職場がないからである。
感覚過敏のある人間が、蛍光灯のちらつく長時間人間の密集した空間にいたり、「常に働いているように見える」まじめな(うまく手を抜く)人だけが優遇されるところで、働けるわけがもとよりないのである。
年金の使い道は人それぞれだからとやかく言う必要はない
年金受給者が何を買っても自分の懐に入った金だからその点について何も言う気は無い。だが、なぜか私の外野で(あるブロガーを指しています)「彼女が2級だから3級の人が嫉妬したり妬んでいる」などのミスリードを誘うブログ記事を最近書かれていたのを見て、私は大変傷ついた。
また、そのブログ記事をあたかも「これは社会の問題である」という風に、何も関係ない人間がなぜかまとめて喧伝していたので、噴飯ものであった。
※私はシステム上の不備についておかしいと思ったのであるが、その人のブログではなぜか、「3級の人が2級の人を羨んでいる」という問題にすり替わっていた。この件については後日正式にミスリードに対する謝罪を求める声明を出したいと思う。
上記の迷惑なブロガーの行為については、今回の問題には直接関係がないので読み捨ててほしい。
中にはパチンコや競馬ですり減らしてしまう人もいるようだが、それはただ単に本人が後で困るだけの話である。使い道がおかしいからといって障害が減るわけではないし、お金は結局循環するものだから、その本人の取り分が減るだけで社会に還流される意味では凍結された貯金よりも有効である。
使い道が悪いからといって打ち切るのは、果たしてどうだろうか?
お金の使い方が悪いなら、必要なのは打ち切りではなく、障害者に対する「カネの使い方」の教育である。
今回の年金受給者打ち切り問題については、もしかしたら「働き方改革」に通じる問題なのだと思う。
社会に出て働くことができない人が世の中には一定数いる。
無理な働き方で病んでしまい、自殺を選んでしまう人もいる。
だからこそ、障害年金は絶対的に必要なものである。
今でこそ障害者ももっと働かせようということで、ひたすら名ばかりの障害者労働を推し進めているが、その結果は、私のような、社会に逆に迷惑をかける行為に帰結し、また本人の自尊心や存在意義を下げる結果に結びつく。(障害者就労で、とても「配慮」された空間でもまともに働けず、周囲とうまく意思疎通ができないため周りの人間から鼻つまみにされてうつ病(適応障害)→退職へ)
社会の現状として、お金はルールの厳しい企業に就業し、長時間拘束される労働をしなければ回ってこない。
非正規であれば低賃金、障害者就労だと最低賃金(あるいはそれ以下)の企業がほとんどである。
その状態が打開されない限りは障害年金は絶対に必要なものである。
「精神障害者」は社会で働くことができない
現状ではお金を稼ぐ手段を持たない人がいる。
それが、発達障害者であったり、その他精神障害を持っている人々である。
私や彼らは、外に出て働くことがトレーニングしても難しいのである。
カネはすなわち、メシや家である。生存方法に直結した資源である。
そのカネを稼ぐ手段がない人に、社会に出ろといっても、えら呼吸ができない陸上生物が放り込まれるようなもの。ライオンでいえば、食べられる獲物のいない狩場へ放り込まれるようなものである。
この状態で、こうした人々はどうやって金を稼ぐのかわからないし、不可能である。
だからこそ、私は「下のレベルの人々に合わせた障害年金の受給が、これらの人々の生存に必要である」と訴え続けてきた。署名は412名を超えた。(2018年5月29日現在)
発達障害で本来、働けない人は少ないだろう。
ただしコミュニケーション能力の欠如や特性適合の幅が圧倒的に狭いため、現代でもっとも安定した生き方のシステムである、企業での就労継続が難しい。
だから、社会で働くことができない。
現行のシステムや社会がこういう人たちの生きられない社会になってしまったのだから、社会福祉も変わる必要がある。
そのために、今回のように下のレベルから切り捨てていく政策に、私は断固として反対である。
では、誰から切り下げていくべきか?
それは、生存することが厳しい人々ではなく、世の中のルールにもっとも適合して生きやすい人=すなわち勝ち組と呼ばれる人々から財源を取るべきである。
本来は、経済的な上位者(高収入・高所得者)から削っていくべき財源なのに、なぜいつも削られるのは社会の下位階層にある人間なのか、これがよくわからない。
障害年金支給は拡大へ向かうべき
障害年金支給を一元化した政府に今後必要なのことは、
障害年金をベーシックインカムのように生存に必要なラインに合わせてより多くの人に分配すること
である。
私は現在、発達障害ゆえの生きづらさをもっと社会の問題として知ってほしい、あるいは、きちんと生きられるような法整備に一石を投じたくて、発達障害(軽度含む)への障害年金支給拡大を訴えてきた。
発達障害は、3級であれ軽度であれ、現行社会の中でもっとも生存に必要な「カネ」に結びつく生き方が難しい障害なのである。
たとえ軽くても、障害は障害で、普通の人より相当生きづらい。
(少なくとも、障害者就労した私は1年で壊れ、現在無職である。)
障害だけではなく、生きることに苦労している人にもっとカネを配るべきである。
障害だから、という問題ではなく、人間が生存権を守られ生きていくためには、家と食べ物が必要だ。それらを手に入れる手段が難しい人は、下のレベルから守られていくべきである。
その中で、少なくとも、発達障害は現代でもっとも生存する手段を見つけることが難しく、悲鳴を上げている人間である。
発達障害だけでなく、ほかの障害や、グレーゾーン、原因不明の病気、健常者でも長時間労働で精神が壊れてしまう人、たくさんいるだろう。
今は、現存の社会システムに適応するための教育的資本や、教育的時間、コストが圧倒的に普通の人々に足りていない。そして、それらはあまりにも高すぎる。
このようなあまりにも大きな格差を均すためには、兎にも角にも生存に必要なカネを、より多くの人に配るべきである。